| 沙楽堂の三密瑜伽(身・口・意) |
身は手に成仏の印を結び
口は声に成仏の真言を誦し
心は自身成仏観を念ずれば
身口意の三密が大日如来と一体となり
忽然として成仏するであろう。 |
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更新履歴 |
| 2004,7,13 |
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『アミターバ』 玄侑宗久 |
| 2004,7,4 |
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モーツァルトの脳味噌 |
| 2004,7,3 |
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他にあるだろ |
| 2004,6,23 |
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なんだかなぁ。。。。。。 |
| 2004,6,22 |
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霊と魂の資本論 |
| 2004,6,7 |
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| 『アミターバ』 玄侑宗久 | 2004,7,13 |
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『アミターバ 無量光明』 以前テレビで瀬戸内寂聴さんと対談しているのを見て、 気になっていた芥川賞作家、玄侑宗久(げんゆうそうきゅう)さんの小説。
♪ピーチクパーチク雀の子 ♪生まれたとーきは丸裸 ♪お耳も聞こえず目も見えず ♪頭振り振りちゅんちゅくちゅん
死ぬ時は何も持っていけない。 生まれた時と同じだ。丸裸だ。 持っていけないって、どこに?
脳波が止まっても、連続した意識の主体である「私」がいて、 天井近くから「自身」を眺めている。。。。
【現代の方便】 科学的実証主義に飲み込まれている「近代」人である現代の僧侶は、 仏教の教えと科学の最先端を突き合せて「合理」させようと苦悩する。 浄土、極楽、地獄、来世、幽霊、霊魂、、、、、、、 出るところに出れば「迷信」で却下されるようなものについて、 死を司る者として僧侶は考え続ける。 同じ事を悟らせるにも、時代や人によって それについての語り方を変えなければ伝わらない。 仏教でいう方便というものだ。 この小説は、現代の方便を模索したものである。と思った。
【連続した時間からの解放】 死の床の「お母さん」は時間の順番や整合性がなくなって、 煩悩から解放されていく。 時間概念で自分の人生をまとめようとするのが最大の煩悩で、 現在と過去が入り乱れてくる(要するに「呆け」)のは煩悩からの開放なのだという。 速く移動する人の時間は遅くなり、 じっとしている人の時間は早い、とはアインシュタインか。 地球の自転公転はみんなに共通のようだが、内部を流れる時間は人それぞれで、 未開と呼ばれるある民族は、4つの時間を使い分けるともきく。 サーカディアン・リズムと天体の運行もズレている。時間も不思議であやふやだ。 科学は効率と不安回避のために発達したのだ。
【魂の重さ】 死んだ時に体重が数グラム減るのだという。 それが「魂の重さ」で、個人差がある。 一グラムの物質が「消滅」して生まれるエネルギーは、 広島の原爆に匹敵する莫大なエネルギーで、 連続した意識を持つ「私」がその気になれば、 そのエネルギーを使って、遠い親戚に会いに行ったり、 発光したりは簡単なはずだ。という。 火葬によって分解した分子も、原子レベルでは同量が宇宙にあり続る。 原子核の中の量子の不思議な振る舞いや能力などもひきつつ、 死んだお父さんがお迎えに現れるということもありうることだと、 死の体験に突入しようとする「お母さん」に説明し、 自分も納得していく僧侶である義理の息子。
【意識の進化】 肉体が滅んでも、魂や霊と呼ばれるものとして「私」が連続して、 現世の人々のこだわりに哀れみを感じるようになるなら、 それは意識の拡張であり、意識の進化であるのではないか。 すべての人に仏性があるとは、そのことなのではないか? 悟りとはそのことなのか。 意識は段階をもって進化する。みんな旅の途中なのだ。
この小説は、 物理学と量子論と意識と死に纏わる不思議な体験と仏教の教えと 家族愛と人情と人生とを、バランスよく編集した創作物だ。 気負いのない、科学と霊性の親和だ。死の体験に臨む為の神話だ。 トランスパーソナルを視野に入れる学者は、超能力も心霊現象も同じものだと喝破する。 死者生者にかかわらぬ心(意識、霊、魂)の力に関係する、未解明の「物理」現象なのだ。
語り部は「お母さん」なので、読みやすい小説です。 みんな必ず死ぬのだから、読んでおいて損はない。泣きたい人にもおすすめします。 どこまでいっても人間には計り知れない存在の意志が実現している次元がある。 それを信じることが、「死の体験」が地獄になるか、 無量の光に包まれるかを分けるという。 作者が臨済禅の僧侶なので、仏教の宣伝ぽいところもあったが、 久しぶりのイヤミのない小説体験であった。 アミターバとは、阿弥陀さんのことである。 みんな、「魂の重さ」のエネルギーをちょこっとだけ使って、 安らかに納得して、無量の光の中に入っていくのだ。 |
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| モーツァルトの脳味噌 | 2004,7,4 |
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テレビでモーツァルト特集をやっていた。 あまりにも有名でベタなので無視する人も多いが、 見直しましたよモーツァルト。
それは、彼の楽曲には、高周波成分(3kHz以上)が多く、 自然界の揺らぎの構造(1/f揺らぎ)を持ち、 聴く者にα波を発生させて自律神経を活性化させたり、 トマトに聴かせて育てればトマトの糖度を上げたりする、、、 からではなくて、 野垂れ死にしたからだ。
野垂れ死にするやつに悪い奴はいない。w 彼は特定の貴族のお抱えになることなく、各地の貴族のサロンでパフォーマンスして 大金をせしめて豪遊したあと、民衆の為に音楽を作るべく居を移し、 劇場で自作オペラを指揮して、そこでもヒーローになった。 しかし、時の流れの中で仕事の依頼は無くなり、病も得た。 その境遇でも音楽を作り続け、作りつつ死んだという。 遺体を収めた墓は不明。 その日にその地区で死んだ5人の遺体とともに纏めて埋められたのだという。 この天才は、人々の集う特別な儀式なしに葬られたのか。 要するに、行き倒れのような、自由な死であったのか? 貴族をあざ笑う心性を持ち、民衆を見つめ、野垂れ死にした。 そこに惹かれた。
一方、音楽そのものよりも、その脳の「異常」性にも目を瞠る。 絶対音感を持つ人の日常生活での苦しみが話題になったことがある。 様々な生活音がすべて音高をもった楽音(ドレミ)として認識されてしまうのだ。 この能力は便利だったり尊敬されたりもするが、 苦しいと感じ出せば大変苦しいに違いない。 幼少からの音楽教育による弊害ともいわれるが、先天的な要因もあろう。
モーツァルトの音の認識とその記憶力は異常(天才)である。 少年期に、12分間の9声の旋律による教会合唱楽曲を、一度聴いて記憶し、 家に帰ってから完璧に記譜したという。 また、作曲作法は、楽器無しで、脳内で長大な組曲を完成させてから記譜した。 つねに旋律や音響が脳内に鳴り響いていた。 常人には想像も出来ないリアリティを持って鳴り響いていたに違いない。
このような能力はサヴァンなどのある種の症候群とも通じるところがあり、 興味を誘う。 映像(視覚的情報によるイメージ)への異常な記憶力を示す人もいる。 映像を、後日、鮮明に、脳内で、プレイバックできるのだという。 ちょっとした環境の状況や、脳の状態の違いで、 この才能が社会的に承認されるかどうかが分かれる。 モーツァルトも奇行が目立った人だったときく。
もう一つ心にとまったのは、言語と聴覚の話。 幼少の頃から各国を回り演奏旅行をしていたモーツァルトは、 「幼少の頃から」様々な国の言語に接していた。 これが、彼の音楽に影響を与えていたのではないかという。
言語によって使用する音域が違うらしい。 そして人間は、聴いた事のある音しか発声できないのだという。(トマティス理論) ネイティブな発音は、幼少の頃からその言語の中に身をおいていなければ無理なのだ。 それは、音の認識論にも話は繋がってくる。 物理的に同じ音(周波数成分構成)を聴いても、 文化によって意味も、その音を真似た音も変わってくる。 ちなみに、自然音を聴いて言語脳が活性化するのは日本人だけだともいう。 日本人は、音に対して特殊なセンスを持っているのである。
ともあれ、35才の生涯で、一説には1000曲以上の作曲をしたとも言われるモーツァルトの その脳内「編集力」は、驚異的である。 そこには、脳還元主義では捉えられない創造の秘密。 何者かに作らされているという、無我や、超意識や、精霊の力をも、 垣間見る事が出来るのではないか。
「1/f揺らぎ」については、規則性と不規則性の混在が、 生態システムに共鳴するということを、もう一度良く考えてみたい。 波やせせらぎ、風鈴(風)という、流体による音の発生についても。 |
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| 他にあるだろ | 2004,7,3 |
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あれ?っと気がついたら7月になっちまった。 まいったなぁ。正月気分が抜けないまま今年が半分終ってしまった。 まぁ、それは言い過ぎだとしても、 なんでこんなに月日の流れるのが速いのだろう。 密教の修業が進みすぎて、時間概念を超越してしまったのだろうか?w まぁ、それは言い過ぎだとしても、 どっかが病んでるに違いない。
本当にやらなければならないことが他にあるだろうが! と感じつつも、 hitomiの『サムライ・ドライブ』なんかを聴きながらヘーゲルを読む。 哲学と宗教と芸術の階層についての議論だ。 このおっさんは1770年生まれ(ベートーベンと一緒だ。モーツァルトは14歳年上だ) の独の哲学者で、 「いままでの世界のことは俺がぜーんぶまとめちゃる」と、大風呂敷を広げて、 言った通りまとめちゃった凄い人だ。 「んじゃ、まとまったんで、これからのことを考えまっす」 と言ったのがマルクスだ。 マルクスやってもニーチェやってもフロイトやってもソシュールやっても ポンティやってもデリダやってもフーコーやっても、 問題のオオモトは全部ヘーゲルにある。とか言われちゃう偉いおっさんだ。 「ヘーゲルの論理学を理解しないでマルクスの資本論が分かるわけないやんか奥さん」 とレーニンは言った。
ヘーゲルはともかく、『サムライ・ドライブ』は、 大阪のインディーズバンドCUNEというバンドの曲らしい。 カバーだったわけね。 まえにここで興奮して絶賛した『キルビル』のあのシーンの曲は、 布袋寅泰だったらしい。w 『新・仁義なき戦い』で使ってたのをタランティーノが聴いたらしい。
布袋寅泰はともかく、 本当にやらなければならないことが他にあるだろうが! と感じつつも、 モーツァルトのピアノ協奏曲20番なんかを聴きながら涙しつつ、 中村雅彦『呪いの研究』を読む。w
これは四国の大学の先生が書いてる本なんだけども。うひょー、な内容だ。w 大学をクビにならないのだろうか?と心配してしまった。 四国だからできるのかもしれない。愛媛大の教授だ。 四国では「拝み屋」と呼ばれる霊能力者が生活に溶け込んでおり、 現在でも、呪詛合戦(サイキック・ウォーズだぜベイビー)がそこここで繰り広げられているという。 そのフィールドワークと考察の書だ。うひょー、でしょ。2003年4月初版。
科学的アカデミズムとしては境界領域にあるはずの、 「トランスパーソナル心理学」を専攻されている先生だ。 自己意識を拡張して、他者と、生態系と、地球と、そして宇宙と一体になり、 新しいライフスタイルを提案するという、 ゼーレの人類補完計画のようなw、怪しくもワクワクする「学問」である。 真言密教的問題でもあり、意識の進化をめぐる問題でもあり、 行き詰まった「近代」を乗り越えるためのツールでもある。
高知県物部村のいざなぎ流の呪術の民俗学的研究は、 国際日本文化研究センター?の小松和彦先生が先駆であるが、 中村さんは、もう一歩、踏み込んだスタンスのようだ。 フィールドワークの場所が生活の場所なんだから。 心理学博士で教育学部教授で、奥四国の神社で資格を得た神職でもあるらしい。
不可視の領域を、肯定的に学問に取り込んでいこうという指向が、 アカデミズムの側からドンドン出てくるといいと思う。 霊性の問題には、「寝た子を起こすな」という声も聴こえてきそうだが、 今の枠組みでは、もうどうしようもないでしょ、人類って。 つーか、この文明。 世界保健機構が、「心身とともに、霊性も健康でなくては健康とはいえない」 と言っている時代なのです。
不可視の領域はともかく、娑婆では、 沙楽堂が特別企画で吉野を取り上げたからに違いないが、w http://lion.zero.ad.jp/~zan26523/MyWebSite/page/special/tenkawa/tenkawa001.htm 紀伊山地の霊場、吉野大峯、熊野三山、空海の高野山が、☆世界遺産☆ に指定された。 観光客のみなさん、霊域なんだから、ゴミは持ち帰ってくださいませよ。 闇の領域が世界に開かれてしまった。。。。うううっ、嬉しくも悲しいアンビバレンツ。 絶対矛盾的自己同一(西田)。。。。w 松岡先生の千夜千冊も残すところあと2冊。 なんか陽明学から水戸イデオロギーときて、 先生は興奮しているかのようです。大団円に向けて。
あとはまぁ、イラクの主権移譲、佐賀の竜巻、曽我さん家族はバリで会う事になったとか、 サントリーが青いバラを作ったとか、 薄汚い官僚機構のデータ隠し(核再処理コスト等々)とか。そんなところ。
んー。明らかに分裂的だな。 本当にやらなければならないことが他にあるだろうが! と強く感じつつも。寝る。 |
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